宝塚市の地名の由来

宝塚市の地名の由来には、いくつかの説が存在します。そのいくつかの説の多くに共通するものは『古墳』です。宝塚の『塚』は、正式には旧字体である『塚』です。これは、「盛り土のしてあるお墓」つまり古墳を意味しているからです。宝塚は、その文字の通り古墳の名称でもありますが、宝塚には数多くの古墳が存在しています。そのため、どの古墳が宝塚と呼ばれていたのかという説は多くあり、場所は特定されていません。現在ある、宝塚の由来の説をいくつかあげてみます。

1つ目は、旧良元村伊孑志(現在では、宝梅)にある古墳が、宝塚と呼ばれていた説。

2つ目は、旧川面村川面にある古墳が宝塚と呼ばれていて、近隣にある新田(現在では御殿山)も宝塚と呼ばれていた説。江戸時代に記された検知記録に、川面村の耕地として『宝塚東・宝塚南・宝塚北』と実際に記されている。

3つ目は、旧米谷村(現在では米谷)に塚が存在し、その塚のそばで物を拾うと必ず幸せになったということから、宝塚と呼ばれたという説。

4つ目は、宝塚山宝泉寺(『ほうちょうざんほうせんじ』、現在では宮の町)の土地に、神功皇后の母親である高額比売命(たかぬかひめのみこと)を祀った古墳が存在し、この高額塚(たかぬかつか)を宝塚と呼んだという説。

以上の4つが、有力な説ではないかと言われています。また、このように古くからある宝塚の名称は、明治時代に入ってから温泉や駅名になり、戦後には市町村名として採用される形になりました。